池口研で学んだ数理神経学

保坂 亮介

私が大学に入学した1996年は就職難の始まりのころでした.私はもともと生物に興味がありましたが,就職がしやすいだろうという理由で,大学は情報系と決めていました.大学に入り,研究室を選ぶ3年生の終わりになってみると,脳の研究をしている研究室があることを知りました.研究室配属後に知ったのですが,脳を情報系の学科で研究することは,計算論的神経科学や理論神経科学と言って,とてもポピュラーな分野なのです.情報にいながら,脳のことを勉強できた,とても楽しい一年間でした.

脳はとても面白い研究対象でしたが,すでに製薬会社から内定をいただいていたため,大学院には進まずに就職しました.しかし,脳を勉強したいという気持ちは日に日に強くなっていきました.迷いに迷った末,上司とも相談の上で会社を辞めることを決意しました.卒論の指導教官であった吉澤修治教授の退官が近い等の理由から,大学院での指導教官として,2000年4月に情報システム工学科に助教授として赴任された池口先生を紹介していただきました.池口先生は神経科学にも造詣が深く,生理実験の経験もあるのです.2001年4月から修士課程の学生として池口研究室に所属し,再度,研究生活をスタートさせました.

脳の中の神経細胞には興奮という電気的な現象があり,それが脳の情報処理の基本となっています.そこで大学院では,この一個の神経細胞の電気的現象を研究することにしました.しかし,ご存知のように,情報システム工学科には生理実験の施設はありません.そこで,生の神経細胞を用いるのではなく,神経細胞を数理工学の理論や手法を使ってモデル化し,それをコンピュータ上でシミュレーションによって研究を進めました.数理工学というのは,応用数学や物理数学ともいわれますが,学問対象としての数学ではなく,私たちの身近に存在する自然現象を記述・研究するために用いる道具的数学のことです.主に,微分方程式,確率過程,統計などを用いました.もちろん,こういう数学が得意だったわけではなく,池口研究室で研究しながら勉強していきました.池口研究室の別名が非線形数理工学研究室という通り,数理にはとても強いのです.

一方,シミュレーション研究を行おうとすると,どうしてもプログラミングの技術も必要となります.生理実験であれば,研究対象が生物として用意されているので,それらを解剖したり,薬物を投与したり,実験条件を整えたりして,データを収集できます.しかし,シミュレーションの場合,その研究対象自身をまずコンピュータ上に実装しなくてはいけません.逆に言えば,モデル化ができプログラムとして書くことができたら,どんな研究対象もコンピュータ上に実現できるので,とても有利とも言えます.

卒論では, Windows と Visual C を使って研究をしていました.しかし,修士での研究が進んでいくと,プログラム量も増加し,その結果,不便さが目立つようになってきました.個人でシミュレーション研究をする場合,グラフィカルなユーザインターフェイス(GUI)というのはあまり必要でありません.そこで,研究環境を UNIXに移行しました.UNIX では GUI は(おそらく)あまりきれいに作れませんが,迅速なプログラミングにはもってこいでした.池口研究室には,UNIX のノウハウが詰まっていたので,とても役に立ちました.Apple がその方針を大幅変更し, OS がUNIX ベースのMac OS Xとなってからは,私自身も Mac に移行しました. もちろん,シミュレーションは黒い画面に白い文字でUNIXベースで行っています. 移行当初は,Apple から発売されたばかりのiBookを使いましたが,今ではそれがMacBook Proに進化しました. 池口研究室では現在,Mac OS X Server を用いた快適な研究環境が提供されていますが,研究室の方針を先取りしていたことは自慢できます!

博士課程修了までの間に理論神経科学の論文を5編書くことができました.それらは全て英語で執筆し,世界に向けて発表しましたので,今でも国内だけでなく,国外からもコンタクトがあります.メーラーを開いて海外から英語のメールが届いていると,最前線で研究していることが実感でき,ちょっとうれしくなります.

博士課程修了後は,文部科学省の外郭団体である科学技術振興機構に就職しました.池口先生の紹介で,池口先生の恩師である合原一幸先生が主宰されている研究プロジェクトの博士研究員として,東京大学 生産技術研究所の理論神経科学の研究室に机をおいて研究をしています.テーマは,博士課程の頃から継続して理論神経科学です.また,神経科学をやるからには,生の脳も知らなくてはいけないということで,東北大学 医学部の共同研究員にもなりました.こちらでは,神経スパイクなどの生データの収集・解析も行っています.データ解析の際にはGUIが便利になりますので,解析には Matlab も使っています.

博士の学位をとると,一人前の研究者として扱われます.研究に関することは当然全てできるものとして考えられます.英語の論文を読むのも書くのも自分一人で行わなくてはなりません.誰も教えてくれません.というか,みんな忙しいので,そんなことやってくれません.池口先生は,英語での論文執筆をとても重要視し,池口研大学院生時代から,内外を問わず研究発表は全て英語でした.そのおかげで,今では,英語の読み書きに関しては不自由していません.英語は研究職だけに必要ということはなく,企業に就職した場合も,とても重要です.例えば,最新のソフトウエアを用いるなどもあると思いますが,そういう場合はマニュアル等は必ず英語ですから.日本語に訳されることなどありません.池口研究室で頑張ったので,今では,英語の読み書きには不自由はしませんが,聞く,話すももっとできないといけないという反省から,これらは今も勉強中です.

学部の4年生になりたての頃は,自分が博士号を取るなんて思ってもいませんでしたが,脳科学に限らず,数理を道具として使って勉強して研究をしたい方,修士,博士の学位を取得したい方は,池口研究室での勉強・研究はおすすめです.

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